留学生の親との会話-ある和食のお店で

健啖家のお父さんのお誘いで和食屋さんに出かけました。

「(食事は)何がいいですか」というお父さんの問いに、

「和食が好きです」と正直なところをお伝えしました。

「うーん、わかりました」とお父さん。

 

都内の事務所に伺い、そこから歩いてお店に行くものと思っていると、「車で行きましょう」と、向かった先は郊外の静かで、カジュアルな佇まいの東京生活圏でした。

タイムズ駐車場から数分歩き、道の角にある小さなお店。9つほどのカウンター席で先に来ていたお母さんと合流しました。

 

板前さん、奥さん、そして息子さんの3人がカウンター内にいました。3人が揃うと、初老の板さんがマグロ、しめサバ、ホタテのつまみを飲みながらの会話は、現在留学中のお嬢さんのことになりました。驚いたのは、カウンター内の人がみな一応に彼女のことを良く知っているということでした。

 

彼女の本来持っている特性や、行動の傾向など、とても素直に、率直に、時には「えっ!」と思うようなことがポンポンと出てくるのです。そのお店の人たちは、彼女の基礎教育については将にコンサルタントでした。彼女の個性や行いは、もしかすると日本の知識偏重教育には向いていないかもしれません。しかし、どこかに子どもたちは伸びる要素を持っていて、それを認め、誉め、愛情をそそぐという教育本来の、「教え、はぐくむ」を行えば、必ず人は成長してゆきます。そのようなことに賛成してくれる人々だと私は思いました。

 

 

食事の中盤からワインが赤に変わり、赤身やアナゴなどの握りとなりましたが、その丹念な作りと味がとても印象的です。美味しいのです。和食というのは、ひとつひとつが控えめで地味な作業であると思います。私は職人さんの長年の経験と努力の成果としての味そのものを感じ取るには、大雑把なのですが、場の雰囲気とか、人となりとかを感じながらいただく、その親近感と食を通したコミュニケーションの素晴らしさを感じました。

 

「料理は愛情」と今となっては大変な昔の話ですが、ある俳優さんがテレビCMで言っていたのを思い出しました。その時は「どんな意味だろう」と不思議に思い、そのまま忘れていましたが、20年ほどたった今、その彼のいった「愛情」の意味がわかるような気がします。

 

レシピでは表現できないこの感覚は、私たちが大切にしている文化なのだと思います。そこには受け入れることと感謝の気持ちが基本にあると思います。

 

このような機会を作ってくれた健啖家のお父さんに感謝します。