受験からの解放―#3ボーディングスクールの受験システム

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皆さんはTOEFLというアメリカで生まれた外国人の英語力を計る試験をご存知でしょうか。現在のTOEFL試験の満点は120ですが、アメリカテンスクールズに入学するためのこの試験の基準点は100以上です。テンスクールズよりも入学難易度が高くはなくても英語によるコミュニケーションが要求されるボーディングスクール群は80以上のスコアを要求し、留学生のための英語クラス(ESL)のあるボーディングスクール群は50-60くらいのスコアが要求されます。

小学校高学年から中学校にかけてボーディングスクールに留学した日本人生徒は、TOEFL予備校に通わなくても高校受験をするときには100点あるいはそれを超える英語力を通常身に着けます。もちろん、自らが通うボーディングスクールTOEFL特進クラスやTOEFL補習のための課外クラスというものはありません。留学生ないしはその親が学校に対してTOEFL対策を要求するということも聞いたことはありません。

TOEFLが要求する英語4分野、読解力、文法・語彙力、表現力(書く力、話す力)は、ボーディングスクールで当たり前の学校生活を送っていれば留学生が自然に身に着けることが出来、結果として100以上のスコアを取ることが出来るのです。

この試験は留学生のためのものですが、大学入学に必要な学力試験としてSATもTOEFLと同様のコンセプトで作られています。すなわち、受験生が高校時代に授業に熱心に取り組み、与えられた課題をしっかりこなしていれば、大学が要求するスコアを達成することが出来るのです。

 

そもそもアメリカの大学受験で要求される試験、SATやTOEFL(留学生用)は、受験生が複数回受けることが可能です。欧米の受験というシステムは年に1回の試験のスコアで合否を決めるというようにはできていません。

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受験からの解放―#2ボーディングスクールの受験システム

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アメリカの高校(日本の中学3年から高校3年までの4学年)としてのボーディングスクールの教育の根本が考えることを前回述べましたが、それを象徴しているのが、少人数制によるクラス編成と選択科目の多さにあると言えます。入学難易度が極めて高いテンスクールズと呼ばれているボーディングスクール群の科目数は4学年で400ほどになると思います。一クラスの生徒数は10名~15名です。テンスクールズでなくても、日本の高校と比較して選択科目が多いことと一クラスの人数が少ないという傾向は変わりません。

 

余談になりますが、ボーディングスクール進学を目指しているお母さんからアメリカのボーディングスクールに通っている生徒は、どのようにして寄宿舎から予備校や塾に通うのですかという質問を受けたことがあります。ボーディングスクールが学校文化として根付いているアメリカやイギリスでは、カレッジプレップがボーディングスクールの別称であり、大学に進学するための総合的な教育がそこでは行われていますが、予備校や塾という補習機関はありません。

 

では、大学受験のための膨大な基礎学力をどのようにしてそこで学生徒たちは身に着けるのでしょうか。

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受験からの解放―ボーディングスクールの受験システム

ボーディングスクール(小学校高学年からの留学を含みます)への留学を目指す生徒およびそのご家族は試験の結果で合否が決まる日本の受験システムに根本的な疑問を持っていることが多いように思います。

 

日本の場合、学びの根本は考えたり、興味を持ったりすることよりも覚えること、知識として定着させることにあるのではないでしょうか。その結果として、受験生が目指す大学に合格することになります。そして、殆どの受験生が自らの大学選定について偏差値を基準に選択しているのが現実のようです。

 

ボーディングスクールの教育の根本は、知識を増やすことではありません。そこで学生徒が自ら考えること。生徒が学びの過程で持った疑問に関して、先生は上手にそれを解消する方法を教えること。そして何より、生徒が興味を持った分野(もちろん、芸術、スポーツ、社会活動を含みます)については、それを活かして伸ばす方法を彼らに提供することがボーディングスクールにおいては至上命令になっていると言っていいと思うのです。

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日本の大学受験というシステム

日本では、大学受験に良い結果を出すために多くの親が一所懸命に小学校のうちから子どもの教育に取り組んでいます。良い結果とは何でしょうか。多くの受験生が、「第一志望への合格」と答えると思います。では、受験生の大学受験の優先順位は何でしょうか。偏差値ではないでしょうか。偏差値によって自分が合格できる学校が割り出されそのランキングのトップが第一志望となるのではないでそうか。なるべく公平に、平等に、受験機会を与えて、その結果で、合否を判定する、試験を中心にした日本の大学受験はとてもフェアーなものだと思います。

 

その試験の中身ですが、教育は本来とても幅の広い人間の知的活動範囲に及ぶものですが、現代の日本の教育制度を象徴する試験は明治時代から現在まで一貫した基準でがあるようにもいます。その基準を満たした人が合格を勝ち取り、社会を構成する要所に配置されるようになっているように思えます。

 

たとえば、これからの時代は想像力、発想力、コミュニケーション力がとても重要なことは間違えありませんが、それを試験で評価することが可能でしょうか。不可能ではないにしても、1年に1回のテストでそれを評価したり、採点したりすることは、本来の教育が目指すところなのでしょうか。

 

アメリカではSATという学力判定テストは、年に何回でも受験することが可能であり、その結果、上位を占める生徒たちの点数は、ほぼ満点となり、SATでは合否を判定できないので、普段の成績や特技が判定の大きな基準となっていわゆるAO入試システムを作っているわけです。

 

日本の文化の特徴として、公平性、平等性を保つために、試験は厳重に管理され、年に1回という基準は崩れません。このシステムに風穴をあけるのが、日本式AO入試であると思いますが、実は受験関係者にとっては、AOというのは不平等であり、

海外教育修了者に対する特典的処置としてそもそも発展したものであり、日本の受験システムを覆すには至らないマイナーなものであると受け止められているようです。

 

問題は、受験というシステムそのものではなく、その次にある社会への貢献とか、

積極的参加にあるのでしょうが、試験に合格するために徹底して勉強に集中するように幼少からトレーニングされ、結果として規格化された人間が増えるだけで、グローバル社会に対応できると思うのはある意味、幻想になりつつあります。

 

これは日本だけが持っている問題ではありません。どこの国でも、世の中が安定して、国の威力が世界で認められれば、認められるほどに、顕在化する「教育」の問題点となっています。

 

解決策をシステムの中に期待するにはとても時間が足りません。したがって、受ける側が積極的にその世界を変える意識を持たない限り、既存のシステムの打破難しいということになるのでしょう。

 

 

日本のAO入試について

高校在学時の1年間留学に対して30単位(1年間の学習内容に相当)が認められるようになり、現在では、公立高校ではほぼ100%、私立高校でも、かなりの学校が、休学や留年をしなくても、留学年を含めて、3年間で高校を卒業できるようになっています。

 

この制度が導入され、運用され始めたのが90年代です。この頃から、海外で高校を卒業した生徒の入試に対する大学の考え方が次第にオープンになってゆきます。

 

日本の大学入試における偏差値は、かなり強力なようです。欧米のみならず世界のボーディングスクールには、偏差値という入学難易度を示すものさしはありません。大学の評判が偏差値によって判定されるというのが、「現実」ということをある予備校の大学入試の専門家の方から聞きました。センター試験のデータを分析して、学校ランキングが出るのだそうです。その結果があまねく入試関連情報機関に公表されるため、全国の受験生は、そのいわばランキングをもとにして、自分の志願先を決定してゆくということのようです。

 

AO入試というのは、アドミッションのAとオフィスのOを組み合わせた、造語ですが、それぞれの学校が独自で合否を判断するというのが主旨です。受験者はセンター試験を受けないので、学校の公示ランキングには関係ないというところが、この入試システムの画期的なところであるかもしれません。

 

それゆえに、奇抜な学生選択ができるのか、あるいは、メジャーな学校の動向に無関係だから、やっぱり救済的措置なのか、それを決定するのは受け入れる学校の判断にかかっているわけです。

 

AO入試の内容はそれを実施する大学によって重点の置き方が異なるようですが、高校時代の成績の提出、個別の面接、小論文などはほぼ共通してAO入試に見られる要素です。小論文などはあらかじめテーマが決まっており、試験当日に提出することに

なっている場合が多いので、「本人が書いたかどうか」は最終的には、一人ひとりの良心の問題です。

 

本家のアメリカなどは、AOの歴史が長いだけに、成績、本人の特質を示すような書類などを統合してみると、その作文は人が書いたかどうか、すぐにわかると言います。それが、アドミッションで働く人々のセンスにもなっているのでしょう。

 

一般受験のように会場試験がないことが最大の特徴である、このAO入試は、個々の受験者の特性を見るという点では、アメリカの入試方式と同じです。アメリカではセンター試験の代わりにSATを使いますが、日本のAO入試の場合、それをTOEFLなどに変えれば、英語の知識程度はおおよそ把握することができます。

 

一般受験者数から比べるととてもマイナーなこのAO入試制度です。しかし、海外で高校を卒業した人々の「救済策」という意識でなく、海外の学校との併願により、日本の受験システムを変えて行く試験制度にまで成長するかどうか。

 

それを決めるのは、AO入試受験生一人ひとりの意識にあると思います。意識の高い留学生が日本の大学に戻ってきたいと考えた場合、このAO入試という考え方は彼らにとても有利に働くと思います。

 

それを活用できるかどうか、ゆっくりではありますが、留学生の日本の大学受験という視点からの立場は、彼らを尊重するものになりつつあると私は感じています。

自立してどうするの?

「自立、自立と言うけれど、自立してどうするの」とある帰国子女体験のある社会人女性から中高生留学について質問を受けました。

 

「自立」という言葉はとても大きな意味をもつものだと思います。そして、我が子のボーディングスクール留学を目指しているお父さん、お母さんから頻繁にその言葉を聞いてきました。

 

経済的な自立、社会的な自立、そして精神的な自立がまず思い起こされます。私が関わっていたのはそのなかで、おもに精神的な自立です。しかし、いずれの自立の場合でも共通していることは、問題解決能力の発達あるいは、自主的な生活能力であると思います。

 

例えば、「お金がない」ではどうしたら解決できるか。就職をするには、何が必要なのか、それをどのようにして身につけるか。仕事はあるけれども、自分が関係している組織や人々との絆がうまく結べない。それをどのように解決したら良いのか。仕事も人間関係も大きな問題はないが、自分の生き方の納得が得られない。そのこのままで良いのだろうかという精神的自立も問題。

 

自立はボーディングスクール留学希望者というよりも、年齢に関係なく人々が日々の生活で向き合っている諸問題であると思います。

 

さて、それでは当初の彼女の質問に私はどう答えるべきかと思います。まず、自立という言葉を単独で使うことを考え直さなければなりません。「留学は子どもの自立を目指す」といった表現は、フレーズとしては、すんなり受け入れられても、中身が大きすぎて、考えれば考えるほど、内容が問題となります。

 

自立ということは、留学をきっかけとした場合、本人と本人にかかわる人々にとって、

継続して考えてゆく大きな課題なのだと思います。中高生留学は、高等教育機関への進学をもって一つの結果が出ます。その時に、ほぼほとんどのお母さんから「子どもとともに成長した」というコメントをもらいます。お母さんが仕事をしていても、していなくても、意見は変わりません。一人っ子であっても、兄弟姉妹がいても、このコメントは変わりません。

 

親にしてみれば、子どもという鏡に自分を映し、そこに見える自分に改めて気づくわけです。自分が知る由もなかった面がたくさん、遠隔地にいる子どもからもたらされるということもあると思います。そして、親子で離れて暮らすことで、絆の大切さをあらためて知るわけです。今までの学習に対するバックアップやサポートといった具体的な内容から、「愛情表現」という漠然としていて、つかみどころのない感情が、どれほど、子どもに影響するか、その結果が「子どもとともに成長しました」なのではないかと思います。

 

親も子も納得のゆく人生を生きるために、10代の留学が役に立つことを願っています。

ある留学希望生徒との会話

ほぼ1年間、留学を自ら望み考えてきたある生徒との会話です。

-あれから、勉強は進んでいますか。

「・・・、まあまあです・・・。IELTSってどんな試験ですか」

-どんな問題か、そのサンプルをパソコンで見てみましょう。

(読解に関するサンプル文を検索して、1分ほど読みました)

-ダンク・ビートルという虫の生態がかいてあるようだが、解りますか。

「・・・、うーん難しいです。」

-文章そのものは難しいものではないと思うけど、1行に4つくらい解らない

単語があるんじゃないかな。

「そうですね。だからよく解りません。」

-最初の6ヶ月間くらいはわからないことだらけだから、英語で勝負しないほうがいいね。

「私も絶対そう思います。」

-君の得意なことは

「小さな頃から、ずーっとバレーをやってきました。オーストラリアに1ヶ月くらいバレーとダンスを習いに行ったことがあります。レッスン言語は世界共通(フランス語)だったので、とても楽しくできました。

-それだよ、それ。7月にニュージーランドに行ったら、とにかくバレー、ダンスを生活のなかに取り入れるように組み立ててみるといい。日本で調べても限界があるから、現地に行ってから、留学生担当者、ホストファミリーに協力してもらい、その基礎を作ろう。

「よかった。思うように勉強がすすまなくて、すこし不安でした。バレーやダンスはやりたいと思っていましたが、どうしたらよいか解らなかったんです。安心しました。」

 

 

高校を今春に卒業し、留学のためにアルバイトをしながら、7月の渡航を目指す彼女は、目下留学のための費用捻出のため、アルバイトをしており、仕事と勉強の両立は至難の業とも言えると思います。将来は心理学を学びたいと言っていましたが、経済にも興味があり、海外で大学を目指し、帰国して海外とかかわれる会社で働きたいそうです。

 

いつもは小学生、中学生が中心のカウンセリングとなるので、話し相手はお母さん、お父さんが多いのですが、自らの意思で親を説得し、さらに、親の費用負担軽減のために、アルバイトをしているといった成人的な学生と接すると、その人の将来を彷彿します。

 

この子は「どんなお母さんになるのだろうか」と思います。もちろん、それなりのキャリアを経てのことなのでしょうが、彼女がどのような人とめぐり合い、新たな家庭を築き、子どもたちに何を伝えて行くのかと思います。そのとき、父親はどのように彼女をサポートし、また家族をリードしてゆくのか・・・。

 

私は父親ですが、お父さんの機動力に対して、お母さんが家族にもたらす初めから終わりまで、変わらないものは「安心」というこころのよりどころかも知れません。

 

自分で切り拓いた未来を、存分に楽しんで欲しいと思います。彼女が築く家庭、まだまだ先かもしれませんし、もしかすると、それほど遠くはない将来かもしれません。彼女が自ら手にした海外体験をぜひ有効に活用してほしいと思います。

 

そこで、人生の宿題を一つづつこなしてほしいと思います。納得する生き方を学べれば、必ず勉強はついてくると私は思っています。