家族のありかた

バブル経済全盛のころ、よく世間で女性の結婚相手に求められる条件が面白おかしくかつ真剣に取沙汰されました。高収入、高学歴、高身長が条件で、銀行マン、証券マン、商社マンがその職業というものです。この基準でどれだけのカップルが生まれ、その人たちが現在どうなっているか、その統計はわかりません。

銀行、証券会社、商社はバブル以降、「安定」がなくなり、バブル期の「3高体系」は崩壊してしまいました。それに変わる結婚条件がその後、話題に上らないということは、男性依存、会社依存という考え方がなくなりつつあるのだと思います。ということはすなわちそれが現実的でないということで、そこで時代が区切られたと私は思います。

発想力、思考の柔軟性、集中力、適応能力など性別に関係なく、「人」がその能力と熱意などが採用の基準になりつつあると思います。そうでないと強い体質の企業、
すなわちグローバル対応企業が生れないと思います。

戦後のどん底と混沌、高度成長、バブル期、そして次の時代のキーワードは、何だろうかと考えるのですが、いつもひとつの言葉しか浮かびません。それは「こころ」です。

高収入でなくても、学歴に関係なく、容姿がカッコよくなくても、最も大切なのは、いざというときに頼れるか、そんな基準がとても重要になってきていると思います。いざという時とは、たとえば子どもがインフルエンザで学校を休み、お母さんはどうしても抜けられない用事がある、バブル前なら「おばあちゃん今日お願い」ができたかも知れませんが、現代はそんなとき、ご主人に「今日早く帰ってきて」、「食事はすませてね」、それが可能かどうかということがホームキーパー的立場の人にはとても大切なことなのだと思います。


家事の共有、仕事の共有を支えるのは、お互いの関心にあると思います。働く人にとって以前のようには「仕事」が大義名分にはならなくなっていると切に感じます。

ハーバードからの贈り物という本の中で、ある教授が、大学では先生でいられても、家に帰れば、ゴミを出し、クリーニングを回収するということが自分の責任としてあり、自らを省みて、先生であることが特別ではないと言っていました。

家族における役割分担が明確になればなるほど、お互いの関係性が問われるのだと思います。バブル期以降、一方通行の関心だけでは、家族は不十分なのだと思います。職業に貴賎なしと言ったのは確かマーチン・ルターだったと思います。かれが主婦業を職業と考えたかどうかはわかりませんが、家族の精神性を保つとても重要な「業」と言えると思います。

その至難の業をこなしているお母さんのダイナミズムがこれからの世の中を動かす時代であるのかもしれません。