日本の教育事情を考えてみました

「教育は子どもの未来を決定する極めて大きな要因となる」、私たちはそのような観点から彼らが受けるべき最良の教育を願い、望み、求めていと思います。最良の教育とは何かを考えるとき、当然のことながら、初等教育中等教育、高等教育というそれぞれの段階を想定します。どのような小学校がよいのか。そして小学校から、ベストな中学校に、中学校から、ベストな高校に、高校からベストな大学に、そして自分の望む社会人へと道を歩んでいくわけです。

 

ベストを言い換えると安定となる、私はそのように思います。そして、安定した生活は、安定した収入が約束されなければならず、そのために間違えのない教育をそれぞれの段階で選択してゆくわけです。では安定した生活を約束する教育とはどのような教育でしょうか。

 

教育を受ける本人にしてみると、なぜ算数、国語、理科、社会、はたまた英語などがどうして自分の将来に安定をもたらすのか、いくら親や周囲の人々から熱心に、ときに叱るようにして説明されても、到底納得できるものではないのかもしれません。子どもたちが興味や好奇心をそそられる目の前にあることと、公式、作文、暗記といった「強いられて勉める」勉強との間には相当な隔たりがあります。

 

それでもゴールが明確で、そこまで達すれば必ず「安定」を手に入れることができた時代もありました。日本の高度成長期です。作れば売れる、どんどん伸びる時代ですから、需要と供給のバランスは明らかに売り手市場であり、買うほうが求めたのは、学歴や出身校などのある程度まではその人を保証できる事柄であったのではないでしょうか。

 

戦後のどん底から40年余りで世界の頂点に立った日本の経済に世界は驚き、感嘆し、賞賛もしましたが、高度経済成長に置き去りにされた私たちの文化、伝統、プライドといったことを真剣に再考し、見出さなければならない時期に私たちは直面している、せざるを得ないのだと思います。不登校児の増加、学校崩壊などにこころを痛めている若者が増大し、結局ニート不定期雇用などの悩める人が後を絶たない状況です。

 

日本が欧米に追い付け追い越せとわき目も振らず、必死に努力し結果も出て、豊かさと便利さを手に入れた途端に、こんどはグローバル社会が一斉に日本のライバルとなり、より良い製品をより安くというかつて日本が欧米に対して行った方法でモーレツに日本を経済的に抜き去ろうとしているのが今の世界の中の日本であると思います。

 

グローバル社会の現実が順をおって私たちの日常に波及し、その対策が考えられる中で、現代の子どもたちをリードしている価値観はグローバル化しているとは到底思えません。理念→改革→混沌→矛盾→適応という順番で社会は転回してゆくと思いますが、理念先行で子どもたちが結局負うところの精神的な負担が不自然に重すぎると私は思います。

 

グローバル化とは、結局最も良いことを選択することの自由化であると思います。それゆえに、最も良いという価値観が確立していないと、選びようがないともいえます。あえて、中等教育の段階で世界を目指すのは、そこに子どもたちの個性の伸長と考える力を養い、自分の納得できる人生の選択の可能性があるからです。

 

私は留学の可能性を子どもたちの将来の可能性とオーバーラップさせます。それがこれからの世界の中の日本を創り出すと考えています。